服部正 研究室 ウェブサイト

甲南大学文学部人間科学科に所属する服部正(美術史、芸術学)のウェブサイトです。
アウトサイダー・アート、アール・ブリュット、障がいのある人の創作活動などを研究領域として、調査研究、著述、展覧会の企画などを行っています。

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ベルギー便り 10~ドイツ経由でデンマークへ

2026年08月22日

8月11日~16日までドイツ経由でデンマークに行きました。その中からいくつか紹介します。

ドイツ北部ブレーメンにある展示・研究施設Wilhelm Wagenfeld Hausで開催されていたBlaumeier Atelierの40周年記念展「Ein guter Anfang. 40 Jahre Blaumeier(よい始まり:ブラウマイヤー 40年)」を見学しました。1986年に創設されたBlaumeier Atelierは、精神科長期療養施設 Kloster Blankenburgの解体・地域移行の過程から生まれた文化プロジェクトのひとつで、このプロジェクトを通じて長期間にわたって社会から隔離された状態だった入所者が、表現する主体として社会に参加するようになったと紹介されています。展覧会は、その最初期の世代の作品と、最近になって表現活動を始めた若い世代を対比的に紹介しながら、「建物」「空」「色彩」などのテーマに分けて35人以上の作家による100点以上の作品を紹介する大規模なものでした。今回はスケジュールの都合で展覧会を見学しただけでしたが、アトリエにも機会があれば行ってみたいと思いました。

デンマーク・ユトランド半島北東部に位置するラナース市にある障害者のためのアトリエKunstskolen Bifrostを訪問しました。1995年に創設されたBifrostは、デンマークを代表する障害者のためのアトリエのひとつで、日本でも何度か作品を展示したことがあります。Kunstskolen(美術学校)と名付けられていますが、この名称はデンマークの福祉制度の枠組みによるところが大きいようです。デンマークでは障害などによって一般就労が難しい成人に対して、自治体は能力やニーズに応じた就労または日中活動の機会を提供する義務があります。その際には本人の希望も考慮され、美術活動が適切と判断された場合にはBifrostのような施設への参加が公費で認められるため、参加者自身は画材費や参加費を負担する必要がありません。Bifrostは、そのようなデンマークの法的制度の中に「美術を職業的・継続的に行う」という選択肢を組み込んだもので、そのために広い意味での「教育」という概念が用いられているということだと思います。

創設時からの「教師」Per Kjaersgaard Jensen氏を含めて、6人の「教師」はすべて美術大学を卒業したアーティストで、参加者を「同僚」としてリスペクトしていると言います。同じアーティストとして助言を与えることはあっても、決定するのは参加者本人であり、彼らが才能を発展させるのを長期にわたって見守っているとのことです。そのため、入口の段階で芸術的才能を見極めて選別をするということはなく、長い時間をかけてその人の成長をサポートするのだそうです。2000年から25年以上にわたってBifrostで制作しているKenneth Rasmussen(ケネット・ラスモズン)は、今年の4月までコペンハーゲン近郊のデンマーク有数の近現代美術館ARKEN Museum of Contemporary Artで大規模な個展を開催するなど、今やデンマークを代表するアーティストのひとりとなっています。Bifrostの見学の後、Rasmussen氏がBifrostの終了後や休校日に制作をするために借りている個人スタジオと、市内で開催中の展覧会も見学させていただきました。

ラナース市では、著名なアウトサイダー・アートの美術館GAIA Museum Outsider Artとその付属施設も見学しました。同館は、ヨーロッパ各地から収集した500点以上のOutsider Artのコレクションを所蔵しています。名称は「美術館」ですが、制度的には障害のある人の保護的就労および日中活動を担う社会福祉施設としての性格が強く、美術館運営そのものが利用者の仕事の一つとして位置づけられています。その他にも、ショップやカフェの運営や額装工房の仕事なども同じ建物の中で行われており、こちらも障害のある人の日中の活動場所となっています。同館は2024年に「美術館という仕組みを使って、障害のある人の仕事、教育、自己決定、社会参加の機会を作っていること」を理由にLIVSVÆRK-Fonden(リヴスヴェアク財団)の年次賞を受賞しており、このことも同館の位置づけをよく物語っています。

ドイツのハンブルクでは、市街地にあるGalerie der Schlumper – Forum für Kunst und Inklusion gGmbHを見学しました。2014年に開館した同ギャラリーは、1980年にハンブルクの美術家Rolf Lauteが始めた障害者のための創作アトリエAtelier der Schlumperを母体としています。同アトリエは、2002年の組織改編によって障害者の就労を支援する組織が運営するようになりましたが、開設当時から一貫して障害のあるアーティストが同じ場所で仕事をする共同アトリエという位置づけを保っており、公的な就労支援の場でありつつ、アーティストの活動の場でもあります。ギャラリーでは、現在Atelier Schlumperで制作している作家の新作展のほか、すでに亡くなったSchlumper作家の回顧展、Schlumper以外の障害のある/ない作家との共同展を開催しているとのことです。現在は、「VON JEDEM ETWAS(それぞれから少しずつ)」のタイトルで、Atelier der Schlumperで活動中のアーティストによるグループ展を開催していました。


障害のある人の創作活動とは直接関係ありませんが、デンマーク第2の都市オーフスを代表する現代・近代美術館ARoS Aarhus Kunstmuseum(アロス・オーフス美術館)にも立ち寄りましたので紹介します。
1859年に創設され、2004年に現在の美術館へ新築・移転した同館は、19~20世紀デンマーク美術に加えて、屋上を取り巻くOlafur Eliassonの円環状の回廊、Ron Mueckの巨大な少年像、6月19日に正式オープンしたばかりのJames Turrellの大規模な新作《As Seen Below – The Dome》など、著名な現代美術家の大規模な体験型インスタレーションを含む大きな美術館です。今回は開催中の展覧会他に、日没に合わせて開催されたTurrellのSunset Twilight(予約制ライト・プログラム)を体験しました。

同館のSkyspaceは、Turrellにとって100番目のもので、美術館に設置されたものとしてはこれまでで最大規模と言われています。構造はこれまでのものと同様に、円形の地下空間に入りドーム状の天井を見上げるものですが、ここではその大きさにまず圧倒されます。Sunset Twilightのプログラムでは、美術館閉館後の日没前後(当日は20:54)にドーム内に入り、約1時間かけて開口部から見える空の色が青空から夕暮れのオレンジ、そして夜の闇に変わっていく様子を静かに座ったり寝そべったりして鑑賞しました。その間、内部の白い壁面に投射される照明の色が様々に変化するため、実際には少しずつ変化していく空そのものの色が、瞬間ごとに劇的に変化して見えるという不思議な体験でした。

ベルギー便り 09~ハイデルベルク経由でスイスへ

2026年08月18日

8月2日~7日までドイツ経由でスイスに行きました。その中からいくつか紹介します。

ハイデルベルク大学に付属するMuseum Sammlung Prinzhornでは、美術館開館25周年を記念する展覧会「Alles Kunst?(すべて芸術なのか?)」を開催していました。Sammlung Prinzhorn(プリンツホルン・コレクション)は、1919~21年に精神科医で美術史家のハンス・プリンツホルンが収集した約5,000点の作品を核とするコレクションで、ヨーロッパを中心に世界各地の精神科病院で制作されたものです。シュルレアリスムをはじめ20世紀美術に大きな影響を与え、アウトサイダー・アートの概念の形成において重要な役割を果たしました。戦後しばらくは忘れられた存在でしたが、1960年代以降に再び注目を集め、2001年の美術館開館後は積極的な収集活動も行っており、現在の収蔵品は約4万点に及びます。

今回の展覧会では、「精神科という文脈で作られ、その多くがそもそも公衆に見せることを想定しておらず、あるいは「芸術作品」として制作されたわけでもないものを、美術館はいかに展示すべきなのか」というこの領域における大問題に向き合うものとなっています。1914年の写真だけが残されていたKatharina Detzelの等身大の人形を再制作し、Marie Liebが病室の床に布片などを配置して作った作品を写真資料に基づいて空間的なインスタレーションとして再構成したり、展覧会の導入として1920年代の展示で使用されていた紙作品の額装用マット紙(きちんと保管されている!)を展示したりするなど、「これまでの芸術作品としての展示方法は作品にふさわしかったのか、それとも新しい拡張された展示方法が必要なのか」を問いかける興味深い展示となっていました。

ハイデルベルクにはもうひとつ、アウトサイダー・アートや素朴派に特化した個人コレクションによる美術館Museum Haus Cajeth(カーイェット・ハウス美術館)もあります。収集家のEgon Hassbeckerが築いたコレクションをもとにしており、没後はパートナーのBarbara Schulz氏がその仕事を引き継いでいます。個人の審美眼が前面に現れたコレクションで、精神疾患の患者による作品など、アール・ブリュットに見られる極限的な精神状況における切迫した表現というよりは、より穏やかで明るい雰囲気の作品が中心となっています。開催中の企画展「Der Bildhauer und die Maler: Ingmar de Jongste trifft die Künstler aus Stetten」は、ドイツ南部のショルンドルフにあるDiakonie Stettenの創作工房の作品と彫刻家Ingmar de Jongsteの人物像を組み合わせた展示です。Stettenの創作工房は1966年に創立された非常に長い歴史のある工房とのことです。廊下を隔てた向かい側にはBarbara Schulz氏が運営する書店があり、そちらの壁にもStettenの作品が展示されていました。

スイスのベルン市郊外のヴァルダウ地区にあるベルン大学精神医療センター(UPZ Bern)に隣接するPsychiatrie-Museum Bernを訪問し、同館を運営するベルン精神医学博物館財団の理事長のProf. Dr. Hubert Steinke氏に話をお聞きしました。同館は、精神医学の歴史と精神疾患の患者による表現を収集、展示する施設で、アール・ブリュットの古典的巨匠Adolf Wölfliも同館のルーツとなっている精神科病院に入院していました(ただし、同館で展示されている家具にWölfliが装飾を施した作品の所蔵者はWölfli 財団とのこと)。コレクションの中核となるのは、Wölfliの直接の担当医でもあったWalter Morgenthalerが収集した約300人の患者による約5,000点に及ぶSammlung Morgenthalerです。その後も、近隣の精神科病院やデイセンターやアトリエで制作された作品を中心に収集を続けています。

同館は運営の過渡期で、古典的な精神医療史博物館から、地域に開かれた参加型の、包摂的な博物館への転換を目指して、様々な取り組みを始めています。スイス各地の精神科の疾患と関連するアトリエを順番に紹介していくプロジェクトにも取り組んでおり、現在はその第2弾として近隣のKunstwerkstatt Waldauで現在活動する作家たちの新作展が開催されていました。しかし、運営体制を実現するための資金は十分ではなく、積極的に寄付を募って資金確保に努めているとのことでした。Steinke博士には、点在する病院施設をつなぐ地下道の壁に描かれた作品も見学させていただきました。様々な時代に描かれた作品があるようですが、長大な廊下が縦横に続く空間は見応えがあり、モルゲンターラーのコレクションも含めて大きな魅力のあるリソースからは、この博物館の潜在的な可能性の大きさを感じました。

ローザンヌの西側のベッドタウンRenens(ルナン)市にある展覧会、ワークショップ、アーティスト・レジデンス、教育活動を組み合わせた複合的な文化施設La Ferme des Tilleuls(ラ・フェルム・デ・ティユル=菩提樹の農園)を訪問しました。スイス国鉄が所有する線路沿いの歴史的な農家建築を市が2008年に取得して修復し、2017年に文化施設として開館したものです。展覧会に加えて、コンサート、映画上映、講演、ワークショップ、レジデンス、参加型プロジェクトなどを積極的に行っています。歴史的に他地域からの移住者が多い地域で、文化による包摂や共生も大きな目的となっています。

同館を象徴する目玉作品は、屋外に展示された巨大な構造物《ORGANuGAMME II》です。もともと南フランス在住の独学の芸術家Danielle Jacquiが、近隣のAubagne市と共同で駅を装飾するプロジェクトとして制作を続けていた約4,000点の陶製の彫刻的パーツだったものですが、このプロジェクトが様々な事情によってとん挫した後、La Ferme des Tilleulsの開設準備委員だったアール・ブリュットの写真家Mario Del Curtoの仲介によって、すべての作品がJacquiからルナン市に寄贈されることになったものです。約36トンに及ぶ作品の南フランスからの輸送費はルナン市が負担し、総額の大部分を占める設置のための費用は財団の支援者の寄付と募金でまかなったとのことです。Jacquiは何度も現地に足を運び、当初は難色を示していた建築家との協働にも渋々合意し、Aubagneの駅で構想していた壁面レリーフとはまったく別の作品として3次元的に作品を展開して再構成しました。作品名にIIと付けられているのはそのためです。高さ約14m、幅・奥行きとも約10m規模の巨大な立体作品は、その中を歩いて回ったり、部分的には登って内側から鑑賞することもできます。オーバーニュ駅のプロジェクトが実現しないと分かった時、Jacquiは作品をすべて地中に埋めてしまいたいと言っていたそうですが、それがこの施設とルナン市の尽力によって救済され、このように生まれ変わって多くの人を引き付けているのは素晴らしいことだと思います。

ローザンヌには、アール・ブリュット専門の世界的な中心施設であるCollection de l’Art Brutがあります。アール・ブリュットの提唱者ジャン・デュビュッフェが収集した約5000点の作品を核に1976年に開館し、その後もコレクションの拡充とアール・ブリュットの研究・普及を続けてきた施設で、今年が開館50周年の節目に当たります。そのことを記念する企画展「Art Brut en Suisse. Des origines de la collection à aujourd’hui(スイスのアール・ブリュット:コレクションの起源から現在まで)」では、単にスイス人の作家を紹介するのではなく、Art Brutという概念とスイスの関係を歴史的にたどり直すものとなっています。1945年の最初の調査でデュビュッフェが出会ったAdolf WölfliやHeinrich Anton Müllerに始まり、デュビュッフェのその後の収集、開館後の初代館長Michel Thévoz、2001年からのLucienne Peiry、2013年以降のSarah Lombardiと、歴代館長の収集作品も展示し、スイス出身、あるいはスイスで制作活動を行った作家を通じて、「デュビュッフェのArt Brut」から「現在のCollection de l’Art Brut」へという50年間の変化をたどることができます。展覧会のエピローグとして50年間に開催してきた展覧会のポスターを一覧できるようにした展示があり、この美術館が果たしてきた歴史的な役割の大きさが実感されました。

ベルギー便り 08~夏のフランス

2026年08月09日

しばらく更新が滞りました。調査旅行が続き、振り返りの時間が取れずにいました。すこしずつ報告していきます。7月16日~27日まで南仏を中心にフランスで調査を行いました。その中からいくつか紹介します。

フランス南西部ロット県にある人口約350人の小さな村Marminiacで、孤高の芸術家Jean-Marie Massouを称えるフェスティバルが7月18日に開催されました。彼は、村のはずれにある約2.5ヘクタールの森で、2020年に70歳で亡くなるまで、約40年にわたり地下道を掘り、大きな石を運び、石を刻んで地形そのものを変えていくとともに、歌や人類へのメッセージを録音し続けた独学の創作者です。

彼の死後、荒れていた彼の土地=作品を保全するために、彼の活動をリスペクトするアーティストや研究者たちが協会を作って1年に1度集まり、掃除や修復や研究を行っています。今回は私もそのスタッフに加えてもらいました。彼が掘った深い洞穴のいくつかに入ってみましたが、巨大な石を独力で運び、30メートル近い深さの巨大な穴を一人で掘り、深く長い地下道を縦横に掘り続けた、その想像を絶する仕事量にとにかく圧倒されました。

活動の最終日には、シンポジウムやコンサートや上映会、書籍の販売、飲食の屋台などによるイベントが開催され、近隣の住民やMassouに関心のある人たちが集まりました。深夜まで続いたイベントは、Massouに対する愛と敬意にあふれたとても暖かくて優しい空気に満ちていました。

マルセイユの近郊ロックヴェール市ポン=ド=レトワール地区にあるDanielle Jacquiの《絵を描く女の家》(La Maison de celle qui peint)を見学しました。1934年生まれの彼女が、1980年代から自身の住居そのものを長年かけて独学で装飾していったものです。建物の正面全体にびっしりと装飾が施され、おそらく公共のものと思われる家の前の花壇にも装飾が施されています。手製の陶芸をメインに、モザイク状の陶片、小石、既製品を貼り付けた華やかな装飾です。周囲の建物との相違が際立っており、「異彩を放つ」とはまさにこのことかと思わされました。

マルセイユ市の旧市街地中心部にある画廊Galerie Béatrice Souliéは、アール・サンギュリエ(art singulier)を専門とする画廊です。アール・サンギュリエは、フランスではよく耳にする概念で、アール・ブリュットよりはアウトサイダー・アートに近いものです。独学の作家、周縁的な作家、幻想・素朴・偏執といった表現を行う作家などを広く含み、美術教育を受けた作家も含まれますが、メインストリームの芸術表現とは距離があり、個人の好みに忠実に制作している作家たちというイメージです。オーナーのBéatrice Soulié氏は1992年にパリで画廊をオープンした長い歴史をもつギャラリストで、2021年にマルセイユに拠点を移したそうです。狭義のアール・ブリュットに限らず、独自の審美眼でアール・サンギュリエの作家を広く扱っています。作品だけでなく、船舶関連の道具を扱う店を改装した店内に据え付けられた大きくてカラフルな道具棚も圧巻でした。

モンペリエの繁華街から少し離れた静かな住宅地に、アウトサイダー・アートの個人コレクション「Musée d’Art Brut, Singulier et Autres」があります。この美術館は、古典的な手法による本の装丁家で画家でもあったFernand Michelの旧宅兼アトリエを基盤に、彼の没後に2人の子どもたちが少しずつ収集して整備した私立美術館です。約2000点を所蔵し、約800平米の館内と庭園で、歴史的アール・ブリュットから現代のアウトサイダー、フォークアート、幻想芸術まで約250作家を紹介しています。日本の澤田真一も2点含まれていた。個人コレクションらしく、それぞれの作家の代表作というような大きな作品は少ないですが、ヴェルフリやアロイーズのような古典的アール・ブリュットから、2012~2013年に兵庫県立美術館と広島市現代美術館で紹介されたルボシュ・プルニーのような人気の高い現代作家まで、著名な作家を網羅する優れた審美眼に驚かされます。日本の澤田真一さんの作品も2点含まれていました。

パリ14区の精神科病院内にあるLe Musée d’Art et d’Histoire de l’hôpital Sainte-Anne(サン=タンヌ病院美術・歴史博物館)では、「Chefs-d’œuvre. Au cœur de la Collection Sainte-Anne(傑作―サン=タンヌ・コレクションの核心)」と題する展覧会を開催していました。「収容施設と避難所の歴史」「風景と冒険の夢」「想像世界」「ブリュットと美」「親密さと生命」「象徴主義」の6つのテーマで、患者の作品、アール・ブリュットの歴史的作品、精神医療に関わった人物の作品などを属性にとらわれずに併置するものでした。同館は、19世紀から現代まで、精神科医療の環境で制作された作品を国内外から収集し、約1,800点の登録作品に加え、病院の造形活動から生まれた約7万点の研究資料を所蔵しています。

パリを代表する大規模な現代アートの展示施設Palais de Tokyoでは、「Normes Corps(身体の規範)」 をテーマに主に8つの作品展を開催しています。そのうち3つは、障害当事者による個展で、出品者はそれぞれ、1970年代末以降のカリフォルニア州バークレーで形成された障害者文化(いわゆる crip culture)を代表する詩人・パフォーマーのCheryl Marie Wad、出生時の髄膜炎に始まり小児白血病や成人期の癌など常に病気やそれに伴う副作用とともに生きてきたBenoît Piéron、聴覚障害のあるアメリカ人作家Joseph Grigelyです。その他にも、<社会が身体や精神を「正常/異常」「自立/依存」「健康/病気」と分類し、序列化する仕組みを問い直す>作家や作品がセレクトされ、障害以外にもジェンダーや権力、傷などをテーマにした展示も含まれています。それとは別に、障害とアートの関連年表が大きく貼り出されていたりして、美術館が「包摂」というテーマと正面から向き合い始めたことを強く感じさせる展示でした。


パリ6区のSèvres通りにあるFondation Dubuffetを訪問しました。同財団は、アール・ブリュットの発案者であるジャン・デュビュッフェ自身が1973年に設立し、1974年に公益財団として認可された機関で、彼の作品・資料を保存して研究や展覧会に活用し、著作人格権の管理、作品の真贋調査、カタログ・レゾネの編纂などを行っています。この建物は、デュビュッフェが1951年にアメリカの友人に自分のアール・ブリュット・コレクションを託した後、1962年にパリに戻した際にそれを収めていた建物です。日本で初めてアール・ブリュット・コレクションを本格的に紹介した東野芳明の1968年のテキスト「デュビュッフェ=この一点《マカダム氏》」(『美術手帖』1968年4月号)の中で、彼がデュビュッフェに案内されるのもこの建物です。

財団は、郊外のPérignyにももう一つの拠点を持っており、そちらでは大規模な環境的作品や彫刻を保存しています(こちらはアポイント制)。パリの財団で開催中の展覧会「Pulsions: Jean Dubuffet, les dernières années (1974-1985)」は、70歳を超えたデュビュッフェが人生で最も多くの絵画を制作したということを作品と資料からたどるものでした。会場で監視と解説を担当していたメディア担当の方とお話しさせていただきましたが、彼女によると、この前の時期のデュビュッフェは大きな建築プロジェクトにいくつも携わっていたため、結果的に絵画制作がほとんどできていなかったそうです。デュビュッフェは毎晩、その日に描いた作品を丁寧に記録しているため、完全なレゾネの制作が可能であり、財団は個人所蔵のものも含めてほぼすべての彼の作品の所在を把握しているとのこと。財団は政府の資金ではなく自前の資金で運営されており、現在も続いている建築プロジェクトや寄付、著作権使用料、貸出、一部の作品の販売などで運営をまかなっているとのことでした。